漫歩マンの |
3巡目 また又遍路・旅日記 |
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第1日目 2006.3.4(土) 快晴 | ||||||||||||||||||||
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【発心道場】 早朝、家内の見送りで自宅をスタート。難波から 8:10発徳島行きの高速バスに乗る、11:10に徳島駅に着く。 わずか3時間でもう徳島駅だ。駅そばの食堂で早昼をすませ、 徳島駅 12:18発 板東駅 12:49着。 板東駅からは徒歩約30分で霊山寺についた。 いよいよ、88ケ所のスタート。 ところで何故88なのか? 八十八使の煩悩に由来するからとか、「米」の字を分解すると八十八になるからとか、あるいは男42・女33・子供13の厄年を合わせると88になるからとか、いろんな説があるらしい。 まず、発心の道場は徳島県阿波の国23ケ寺。 徳島県は、四国の東部に位置する四国地方の県。「粟」がよく獲れたことから、昔は「阿波(あわ)の国」と呼ばれていた。 今日の【 1】霊山寺から【 6】安楽寺までは地区的にはまとまっている。 今日は安楽寺の宿坊でとめてもらう。薬湯でゆっくり浸かり足、肩をもみほぐす。
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第2日目 2006.3.5(日) 快晴 | ||||||||||||||||||||
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【吉野川】 朝7:15、安楽寺をスタート。 十楽時を過ぎて8:10頃、道路に面した接待所越久田さんに前回お世話になったので、お礼やら報告やらに立ち寄ったが、お留守だった。名刺に一言書いて投函しておいた。 熊谷寺の山門は貞享4年の建造、高さ13mとかで荘厳さを感じる。 切幡寺では10分ほど坂道を登り詰めてもう着いたかとホッとしたら、「あと333段」という急坂の石段。 少年たちも「ああ疲れた」と登ってきた。333段の途中に厄除けの「女坂」「男坂」、こんなことでへこたれていては明日の遍路ころがし焼山寺が思いやられる、と頑張る。 岡山から来たという一人遍路高尾氏と昼食を一緒に食べ見所とか宿のこととかすこし話す。 【10】切幡寺から【11】藤井寺の間に真っ青な吉野川が流れている。川を渡るのに潜水橋がかけられているが幅約3mで車が来ると逃げるところがなく怖い。 藤井寺から500mの旅館吉野に入る。 この吉野、昨年5月オープンとのことでとても気持ちがよい。亭主は奈良の十津川出身だと。 東京の斉藤氏、新潟の斉藤氏、奈良の松田氏たちと話がはずむ。 みな、これからの旅の予感に酔い興奮している。 |
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第3日目 2006.3.6(月) 小雨のち晴れのち雨 | |||||||||||||||||||
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【遍路ころがし】 今日はいよいよ遍路ころがしといわれる焼山寺。 旅館吉野をスタートして藤井寺正面の左手から遍路道に入り、一本杉庵までは8.8Km、約3時間ドンドン登る。 柳水庵では新しい遍路小屋が造られていて、若い女遍路二人が休んでいた。 声をかけると「昨夜泊めてもらったが気持ちのよい小屋なのでもう一泊する」という。 一本杉庵から焼山寺まで約4.1km、遅くとも11:30頃には焼山寺に到着の予定でいた。遍路道を下っていくと車道に出る。そこで間違えたのだろう。おかしい、おかしい、と思いながら車道を下ったしまった。 尋ねる人もなく、「なべいわ」の手前でまた車道を引き返す。 遍路道と車道の交差したところを右手の遍路道を行かねばならなかった。まちがった!! そこからまた登り道。 焼山寺に着いたのは1時間半遅れの13:00。ガックリ。肉体的にも疲れが出たが、精神的ショックの方がつらい。 「遍路ころがし」とは急坂道とのことだけでなく、こういった広い意味での難所ということだろう。 杖杉庵=むかし、むかし。 今から1200年ほど前のこと。伊予の国荏原の庄(現在の愛媛県松山市近郊)に衛門三郎という強欲な長者がおったそうな。 ある日の事、門前に薄汚い僧衣を纏った一人のお坊さんが托鉢にやって来ましたが、三郎は強欲な人間でしたので少しの金を出すのをも惜しんでお布施をしませんでした。 そのお坊さんは あくる日も、そしてその次の日もやって来ました。毎日やって来るお坊さんを見て三郎は激怒しお坊さんの持っていた托鉢用の鉄鉢を奪い取り地面に叩きつけました。鉄鉢は八つに割れ飛び散りました。 その次の日から、衛門三郎の悲劇が始りました。 8人いた子供たちが 流行り病の為に毎日一人ずつ死んで逝ったのです。三郎は深く悲しみこれはあのお坊さんに、お布施もせずに鉄鉢を取りあげ地面に叩きつけて割ってしまったその罰が当たったと深く反省をし、仏さまに許しを請うために8人の子供達の位牌を背中に背負い、あの時のお坊さんを求めて四国を歩き出しました。 その当時の四国の道は険しい山あり 渡るのに苦労する谷ありで、その旅は決して楽なものではありませんでした。三郎は歩きながら8人の子供達の菩提を弔い、今まで犯してきた数々の罪を詫びました。それでも あのお坊さんに逢う事は出来ませんでした。 歩いても歩いても逢う事は出来ませんでした。 ある日の事、三郎に最後の日がやってきました。阿波の国(徳島県)の12番札所の山中【焼山寺山】に於いて息を引き取る寸前の三郎の前に、眩いばかりに光り輝くあのお坊さんが忽然と現れ三郎の手を握り『衛門三郎よ おまえの罪は全て許された。安心して極楽浄土へ行くが良い』と言って三郎の手に《衛門三郎再来》と書いた小さな石を握らせてくれました。 三郎は自分の罪が仏さまに許されたと知って喜びの涙を流しながら息を引きとりました。それからしばらく時が流れたある日、伊予の国の豪族河野家待望の男の子が生まれました。しかし生まれたばかりのその男の子は左の手を開こうとはしない。親が開こうとしても開けない。 困り果てた両親はお寺でご祈祷をしてもらう事にしてその子を連れて安養寺に出かけました。安養寺でご祈祷を済ませると男の子が握っていた手をパッと開き、その手の中から《衛門三郎再来》と書かれた あの石が出てきました。 喜んだ両親は安養寺に多額の寄進をして河野家の菩提寺と定めました。後になって衛門三郎再来と書かれたその石を安養寺に納めた事から、いつしか石手寺と呼ばれるようになりました。 焼山寺から杖杉庵を通り、道を間違え後戻りしたなべいわ(前回泊まった所)を通り過ぎて植村旅館までダラダラと雨の中を3時間つらかった。 植村旅館では3月までは現役という岡山の高尾氏、奈良の松田氏と一緒になった。 高尾氏は各寺の地理とかいわれ、近辺の見所等にとても詳しかった。 奈良の松田氏は亡くなったお母さんの散骨を金剛福寺のある足摺岬でするんだという。 |
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第4日目 2006.3.7(火) 晴れ | |||||||||||||||||||
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【初接待】 番外建治寺へ廻ったのがよかった。途中の道が心を安らげてくれる。 植村旅館から鮎喰川をダラダラと10Kmほど下り、阿野橋を渡る。 途中、民家の前で奥様から200円のお接待。「お茶でも飲んでください」と。 方子から遍路道を約40分、9:30に建治寺に着いた。 建治寺では岡山の高尾氏に会う。 建治寺から下る途中、足が痛くなる。何度も靴を脱いで足を休ませる。 21号線では両斉藤氏と一緒になった。 【13】大日寺でメシ屋を探すがない。ザックからようかんを出してメシがわりに食べる。前回もここでメシの準備を忘れ同じ失敗をやらかしている。 【14】常楽寺は自然の岩がむき出しの境内で歩きにくい。流水岩という。 【15】国分寺を過ぎて町のスーパーで即席うどんにお湯をかけてもらって食す。 今夜の宿、うろこ楼に電話でお願いする。 【16】観音寺は町の中にあり、門前も細い道で窮屈な感じ。今は本堂も改装中であった。 今日は料理旅館うろこ楼での泊まり。 料理旅館だけあって料理がよかった。 |
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第5日目 2006.3.8(水) 曇り | |||||||||||||||||
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【義経上陸の地】 目が覚めたら胃ケイレン、激痛。若い頃はこの胃ケイレンで大いに悩んだ。小1時間我慢すると治るのだが・・・。 体をいじめて歩いているのが足とか胃とか肩とかいろんなところに影響してくるのだろう。 今日はとにかくユックリ歩こう。 うろこ楼を出て30分で井戸寺に着く。東京と新潟の両斉藤に会う。 恩山寺の近くには義経が上陸したという処がある。 義経の軍勢が敵がいないことを察知して弓の弦を巻いたという「弦巻坂」、敵の伏兵を用心して弦を張ったという「弦張坂」を通り過ぎると川沿いの草原で寝そべっているおじいさんに「こんにちわ〜」「まあ休んでいけや」 で腰を下ろしての雑談中に近所のおじさんがやってきて、そばの枇杷の木の葉っぱを摘んでいる。 「なににするんですか?」と尋ねるとおじいさんが「枇杷の木の葉は煎じて飲むと体によい、特にガンにはよい」といってそのことが書いてある本のページを開こうとするがなかなか見当たらない。 「コピーして送るから住所氏名を書け」という。 名刺を渡すと「ほー、清水さんか。おれは青柳清水といって名前が清水だ。」といってくれた。 車道を歩いていると「祝 小松島高校甲子園出場」と垂れ幕を張ったバスが走っていく。 選抜野球ももうすぐか。 お京塚=立江寺は四国霊場の関所の一つで、悪いことをした人は大師のお咎めをうけるといわれています。 その昔、島根にお京という娘がいました。お京は大阪で芸者をしている時に要助という男と恋仲になり郷里に帰って夫婦になりました。ところがお京はそのうち長蔵という別の男を作ったのです。要助が邪魔になったお京は長蔵をそそのかし、要助を殺害し讃岐の丸亀へと逃げたのでした。 1年ほどして追っ手から逃げるためか、それとも罪ほろぼしのためか、二人は遍路となって札所巡りを始めました。立江寺の本堂の前で二人が本尊を拝もうとしたとき急にお京の髪が逆立ち、鐘の緒に巻き上げられました。お京は驚き苦しみながら院主に自分の犯した罪を懺悔しました。するとお京の髪は頭の肉もろともはぎ取られ、かろうじて一命をとりとめました。 二人は犯した罪を悔い要助の霊を手厚く弔ったということです。 お京はここで一生を終えたという。 立江寺では17時からお勤めで18時から夕食、とのことだったのに団体さんが到着しないからとのことで、結局19時からの夕食となる。 |
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第6日目 2006.3.9(木) くもり | ||||||||||||||||||
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【またまた遍路ころがし】 深夜2時、昨日の胃ケイレンがまた来た。激痛。胃薬を飲む。小1時間苦しむ。 立江寺をスタートして1時間ほど歩くと鶴林寺と太龍寺を結ぶ県道22号線に出た。 ここは通勤自動車の通る道で渋滞している。運転手は毎日のことで慣れたものか、さまざまな表情が見ているものにとって面白い。 パンをかじっている人、おにぎりを食べている人、お化粧している女性、メールを打っている人さまざまだ。 ローソンがあったのでお結びを買う。 国道で無人のみかん屋のおじさんにみかんのお接待を受ける。 生名というところから約5kmが第2の遍路ころがし鶴林寺。 汗をかきかきふうふう言いながら登りきると、両斉藤氏にまた会う。一度出会った遍路とはなんどもこのように出会う。 鶴林寺から下り坂を歩くと「よくもまあこんな坂道を登ったもんだ」と我が事ながら感心する。 下ったあとはまた登り、第3の遍路ころがし太龍寺。 太龍寺の直前で東京の女遍路山田さんと話しながら歩いた。 3月3日から歩き始めたと言っていた。宿は坂口屋の手前龍山荘だという。
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第7日目 2006.3.10(金) あめ | ||||||||||||||||||
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【忘れ物】 坂口屋から30分で阿瀬比というところの遍路小屋で一休みしてから遍路道に入る。 ここで忘れ物に気がついた。家内が心を込めて作ってくれたあの「無事カエル」を昨夜の宿坂口屋に忘れたのだ。 坂口屋に電話をすると送ってくれるという。自宅へ送り返してもらうことにした。 「無事カエル」を忘れた事に気がついたとたん、足が動かなくなった。一歩の足が半歩分しか出ない。 これはなにかお大師さんからのメッセージなのか? いろいろ考えているとこの先とても不安になってくる。 胃痙攣が起きたり、いろんな疲れも出てきたのでこの際一旦帰ることにしよう。 阿瀬比からこの先また厳しい道になりそう、「お疲れ様 お使いください」と竹の杖が置いてある。 前回はこの付近でノラ犬と友達になり平等寺まで一緒だった。 平等寺ではお参りの遍路は一人もいなかった。 鉦打橋のへんろ小屋で休んでいると女へんろ山田さんに追い越された。今日は薬王寺に泊まるというのでオイラも薬王寺に電話して宿を取る。 途中由岐へ行く廻り道と薬王寺への分岐があるが、直通道をとった。 薬王寺の門前に着くと本堂まで女厄坂・男厄坂の石段を登る。 厄年=数え年で、男の厄年は25歳・42歳・61歳、女の厄年は19歳・33歳・37歳が一般的だそうです。特に男の42歳と女の33歳の厄年は四二(死に)三三(さんざん)といって「大厄(たいやく)」で、その前後の年を前厄・後厄として3年間です。 薬王寺からすぐそばにアカウミガメが産卵に来るという大浜海岸へ行った。 夜、ウミガメが上がってきたら「さわぐな」「ライトをつけるな」「監視員の注意を守れ」等々の注意書きが貼られている。 終日小雨の降り続きでつらかった。山田さんは15時ころ着いたといったのにオイラは彼女よりも1時間も遅れた。 夕食は彼女と話がはずんだ。 明日は一旦帰ると彼女に話すとさびしそうな顔になった。 |
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第8日目 2006.3.18(土) 曇り→雨 | ||||||||||||||||||
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【徳島とのお別れ】 夕べは夢を見た。 「高校入試の場面でいよいよ最後の試験、数学。午後1時からとばかり思っていたのでユックリしていた。1時が近づいてきたので試験会場へ行こうとすると教室から試験を終えた皆がゾロゾロ出てくるではないか!・・・12時からだったのだ。結果自分は数学の試験を受けず失敗した。」・・・ なんだか今回の“お休み”を象徴しているようだ。 薬王寺からの再出発。 ここから最御崎寺 まで約85Km、2〜3日間の道のりだ。2泊してゆっくり行こう。 シトシト シトシト降り続く単調な海岸沿いの国道を歩く。 途中の鞆の浦漁港で雨の中散歩しているおじいさんに話しかけたら、「日本には鞆の浦は三つある、ここがそのうちの一つでここはカツオほかブリとかあがる。」「長者が多い。」とか聞かせてもらえた。 今日の宿、大安食堂で徳島県が終わる。
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続き「修行の道場」 |
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