3巡目 旅 日 記 (修行道場) |
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第9日目 2006.3.19(日) はれ | ||||||||||||||||||||
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【修行道場】 歩き始めて1時間ほどのところに「土佐古道」という案内標識があったので、そちらを歩いてみようと思ったら、たまたま土地の人がやってきて「お遍路さん、そちらはとてもとても歩けないよ」と教えてくれた。 9時過ぎ、高知県東洋町に入る。いよいよ修行道場だ。 東洋町に入ったところに「日曜朝市」をやっていたのでちょっと覗いてみたら、お店の人たちが火を囲んで雑談している。商売なんか二の次だ。 「チョット休んでいけや」に腰を下ろすと焼酎のお接待!長閑なもんだ。 昼ごろ国道を歩いているとサルが山から道に下りてきていた。サルまで長閑なもんだ。 現在の高知県は江戸時代は土佐藩と呼ばれていました。廃藩置県によって土佐藩は高知県へ変わった訳ですが、何故、「高知」と言うのでしょうか? 県庁所在地である高知市には高知城があります。そして、高知城の南側に鏡川が、北側に江ノ口川があります。この2つの川に挟まれた城下町、「河内(こうち)」が転じて「高知」になったと言われています。ただでさえ、水害の多い高知。水害に縁の深い「河」の字を嫌って「高知」と改名したと言われています。 一日中寺なしで疲れた。寒い寒いと思いながら歩いていたが、どうも大風邪を引いたみたい。 クシャミ・鼻水がひどい。宿で薬をもらう。 |
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第10日目 2006.3.20(月) はれ | ||||||||||||||||||||
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【カナディアン遍路】 6時起床。風邪がひどい。疲れがでると風邪もなかなか治らない。鼻水がダラダラ出て止まらない。 鼻紙がなくなる、タオルで鼻をかむ。 鼻の周りがただれて痛い。 スタートして1時間ほどで外人遍路に行き会った。 菅笠をかぶり、白衣を着てまったくのお遍路さんだ。残念ながら全然日本語が話せない。 女遍路が同伴している、がたまたま彼女増田純子さん、英語が出来るのでつかまってしまったらしい。 彼はカナダから来たRon氏57歳という。 彼と彼女に家内の作った「無事カエル」を差し上げた。 面白いことにRon氏、「こんにちは」といえば「こんにちは」と答える。 「おはよう」といえば「おはよう」と答える。 ちょっと先に行こうと思ったので「お先に・・・」と言ったら「お先に・・・」と答えてくれた。 室戸岬の最御崎寺から津照寺へ向かって国道を歩いていると、今度はトンビが写真撮影に応じてくれた。トンビも長閑だ。 道の駅で昼食をとっていると先ほどのカナディアン遍路Ron氏がやってきた。 15:30に民宿うらしまに荷物を置いて空身で金剛頂寺を往復する。 今日もエンエンと海岸沿いをひたすら歩いた。 風邪で苦しかったが、寺はありRon氏と抜きつ抜かれつで結構楽しかった。 最御崎寺・金剛頂寺の登りはわずか20〜30分とはいえとても厳しく感じた。 |
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第11日目 2006.3.21(火) はれ | ||||||||||||||||||||
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【王ジャパン優勝】 うらしまから歩いていると、自転車遍路が「おはようございます」と声をかけて追い越していく。 お遍路にとって挨拶はお互い本当に気持ちがいい。 吉良川では昔からの民家・文化を保存しようと町あげて取り組んでいる。 昔からのお雛さんが民家の中に飾ってあった。 ここらで川崎の顎鬚遍路田中氏(60歳?)と一緒になる。 奥さんは「18年前にガンで亡くなったので気楽なもんだ、今は何人かの彼女とお付き合いしている」と。 「奥さん、怒って出てきませんか?」とのオイラの問いかけには「ウーン・・・」 2時過ぎ宿の浜吉屋に着くと「王Japan」がキューバと対戦中で9:5とリードしているではないか。 もう勝利は間違いないだろうと、宿に荷物を置いて【27】神峰寺に登る。 途中足にマメが出来て痛いので靴を脱いで手当てをしていると、埼玉遍路大塚氏(34歳)が針や薬を貸してくれるではないか。 三重の女遍路西山さんもマメ用のテープを貼ってくれた。 みんな親切な人たちばかりだ。 手当てのあと登山途中に家内からメール。 「日本が10:6でキューバに勝って優勝したよ。あなたもお山の頂点を極めてね!」と。 土佐という名称は、「古事記」の中に初めて見える。 神話によるとイザナギノミコトとイザナミノミコトが四国を産んで、「土佐と伊予の二名島(ふたなじま、二つの名前を持つ島)」と名づけた。 ところが、この島は、体は1つであるが、面(顔)が4つあり、面ごとに国名を持つこととなった。このうち、土佐は「建依別(たけよりわけ)」という擬人称が記されている。書き方は、古くは「土佐」と「都佐」の2種類が使われていたが、奈良時代以後「土佐」が定着した。 935年(承平5年)には、紀貫之が「土佐日記」を著わした。「土佐日記」は貫之が土佐守(とさのかみ)として4年の任期を終え、帰京までの56日間の旅程を日記形式で記したもので、土佐が歴史上最初に紹介された紀行文である。これにより、土佐の名は広く知られるようになった。 |
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第12日目 2006.3.22(水) 曇り→雨→どしゃ降り | ||||||||||||||||||||
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【宿選び】 昨夜の浜吉屋は古い建物でそのうえエアコンと思って電源を入れておいたら冷房機だった。 気がついてスィッチを止め、灯油ストーブを点けようと思ったら、自動点火しない。 マッチで点けようと思えどマッチがない。 夜中のこととて宿の人を起こすのは気が引ける。寒さを我慢して一夜を過ごした。 それで宿賃7100円は高すぎる。 年寄りがやっている宿屋で商売っ気がないのだろう。現状維持が精一杯。 結果論では浜吉屋のすぐそばにもう一軒宿があった。そちらにすべきだった。 名前を覚えていないが、ひらがなの名前だった。 宿選びは絶対に新しい宿を優先的に探すに限る。建物は新しくて全ての設備が整っている上に、お客獲得に積極的でサービス精神旺盛だから。 今までで気に入った宿=「吉野」「坂口屋」「うろこ楼」「とくます」、「寺の宿坊」なら間違いない。 今日は寺なしでただただ雨の中を歩いただけ。 昨日の寒さで風邪が治らない。 コンビニでメシとともに買うのはウィスキー・焼酎。 途中、抜きつ抜かれつした西山さん・まりちゃんと黒潮ホテルでゴールイン。 |
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第13日目 2006.3.23(木) はれ | ||||||||||||||||||||
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【少年少女】 昨日も風邪で鼻水ダラダラ、鼻の周りが痛かった。 温泉には三度も入った。 まりちゃんと付かず離れず歩き、アレッいない、と思っていると国分寺でお饅頭をくれた。 気持ちの優しい人だ。「これが食べたかったんだー」と言っている。 11時半ころ学校帰りの女の子(さわちゃんという)に声をかけられる。 「おっちゃんどこいくの〜?」「お寺廻りしているの」 「ふーーん、わたし、お寺と神社とどっちがえらいか知ってるよ。お寺でしょう」「へー?」 小学生の女の子と話をしていると心が安らぐ。 無事カエルをカバンに付けてあげた。 14時ころから五台山竹林寺へ登る。ここは山全体が牧野植物園のようだ。 ただし、正面から入園すると有料だが、遍路で裏手から登ると無料だ。 禅師峯寺では小学高学年と思われる4少年がお参りをしている。 「なんのお願いをしているの?」と尋ねると「勉強とバスケットがうまくなれるように・・・」という。 生意気にもお寺のお参りの作法、本堂と大師堂、等々話してやり無事カエルをあげると一斉に「ありがとうございます」と。 男の子も女の子も少年少女は本当にかわいい。 今日は11時間以上働いた。 |
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第14日目 2006.3.24(金) はれ | ||||||||||||||||||||
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【ペギー葉山】 フェリー乗り場種崎から御畳瀬までが「本来の遍路道」として乗り物が公認?されている。 このフェリー、県営で乗船料=0円。 ♪南国土佐をあとにして 都へ来てから幾年ぞ 想い出します故郷の友が門出に歌ったよさ来い節を・・・みませ みせましょ 浦戸を開けて 月の名所は桂浜 よさこいよさこい・・・♪ 御畳瀬(ミマセ)からペギー葉山の上の歌を思い出し、まりちゃんに話すと彼女、ペギー葉山を知らないという。そういう年代なのだ。 途中に薬屋があったので花粉症対策に目薬と飲み薬を買い求める。 種間寺を過ぎしばらく歩くと仁淀川の長い長い大橋を渡る。 喜久屋では夕食がなく素泊まりのためまりちゃんと近所の焼肉屋で夕食とする。 宿に帰ってから軽くカンパーイ。
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第15日目 2006.3.25(土) はれ | ||||||||||||||||||||
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【カルパッチョ】 朝、スタートしてしばらくのところで足をさすっている若い遍路がいる。 「いかがですか?」と問いかけると「マメで痛くて昨日からもう歩けない」と。「帰ることにする」と。 塚地峠の登り口ではテントの野宿遍路が二人テントをたたんでいた。 汗をかきかき峠を越え、宇佐の長い大橋を渡り、【36】青龍寺に着いたらマロよりあとから出発したはずのまりちゃんがすでに着いている。 途中追い越されたようにも思えないので聞いてみると、道を間違え国道を歩いたという。 距離は短くてもやはり山道は時間を食うようだ。 ビジネス旅館西村では川崎の顎鬚遍路田中氏とバッタリ、同宿となった。 夕飯はカルパッチョがうまかった。 旅館もなにか一点特徴を売り物にするといいんでは・・・。 |
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第16日目 2006.3.26(日) はれ | ||||||||||||||||||||
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【添蚯蚓】 今日は須崎市から土佐久礼〜仁井田〜窪川〜岩本寺と歩く。 途中、遍路道、焼坂峠・そえみみず峠を越える。 添蚯蚓は“そえみみず”と読み、ミミズの如くくねくねと曲がりくねった道のこと。 横に本蚯蚓“ほんみみず”があり、そえみみずはこのほんらいのみみずに沿った道だから“そえみみず”というらしい。 結構きびしかった。この道最近「関西歩け歩け協会」が歩いたのか、標識がぶら下げてあった。 宿坊では顎鬚の田中氏・まりちゃん・に加えRon氏・増田さん・石坂夫妻そして千葉の69歳遍路北村氏たちと一緒になる。 宿坊の窓から外を眺めると桜の花が満開ですばらしい。 |
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第17日目 2006.3.27(月) はれ | ||||||||||||||||||||
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【天井絵】 岩本寺では6時から朝のお勤めがある。 住職から岩本寺の説明があり、特に昭和53年に建立された本堂の天井に描かれている575枚の絵についての苦労話があった。 その絵は400名が参加して仕上げたものでプロからアマチュアまでが洋画・日本画などいろんな手法で描かれなかなか見ごたえがある。 窪川町の【37】岩本寺から足摺岬の【38】金剛福寺まではおよそ90Km。二晩は寺なしの旅が続く。 道端には哀れにもウグイス・ハクビシン?が交通事故で犠牲になっていた。 宿は国道から脇へそれて海岸そばにあった。国道に建っているホテルの看板は古びていて営業中のホテルの看板とは思えない。 温泉では海を眺めながらゆっくり疲れを流した。 |
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第18日目 2006.3.28(火) あめ | ||||||||||||||||||||
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【四万十川】 ホテルをスタートするとほとんど国道を歩く。何の変化もなく面白くない。道はコンクリートで足腰への負担が重い。これが修行だ。 土砂降りが来た。 国道の端には動物たちの犠牲者がところどころに横たわっている。 10時過ぎ四万十川に着く。川はいつも美しい。 四万十川で雨のないとき昼寝をしていると顔に雨が当たった。飛び起きて雨具を着ていると顎鬚遍路の田中氏が目の前を歩いているではないか。 追いかけて久百々までずーっと一緒に歩く。 民宿久百々では千葉の69歳遍路北村氏と相部屋。 宿料金は本来6800円だが相部屋のため500円割引。
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第19日目 2006.3.29(水) はれ | ||||||||||||||||||||
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【足摺岬】 久百々をスタートすると小一時間で大岐浜に着く。 この砂浜1.6Kmをゆっくり歩くのも楽しい。 足摺岬6Km手前にはすばらしい善根宿がある。 野宿遍路には最高のおもてなしだ。トイレは勿論、部屋には畳が敷いてあり、囲炉裏がある。 毛布・洗濯機・炊事場まで完備だ。 どなたかの土地・建物を地域の皆さんでお世話している、大変なご苦労と思う。 ここで昼食を顎鬚遍路田中氏と共にした。 足摺岬は、足摺半島の突端にある四国最南端の岬。標高433mの白皇山を中心とする花崗岩大地が沈隆と隆起をくりかえし、 長い歳月をかけてできたものです。岸壁には、荒波さかまく黒潮が絶えまなくうちよせます。 その岸壁にたてば、ゆるやかに弧を描く太平洋はかぎりなく美しく、高さ80mにもおよぶ断崖絶壁は思わずのみこまれそうに なるほどの迫力。豪快にしてダイナミック。 なぜ「あしずり岬」というか? ・長い長いお遍路の道を歩き歩き、ここにたどり着いたときには疲れ果てて足を引きずっているから。 ・ここは自殺の名所でもあるが、自殺しようと崖の上に立った人が怖さのあまり思わず後ずさりするから。 【38】金剛福寺でお参りを済まして休憩していると、Ron氏が一人で来た。 オイラの姿を見つけるとそばに近づいてきて、宿を探しているという。マロの泊まる足摺八扇でどうか?というとやむなしという顔をしてついて来る。 と、足摺八扇の手前にユースホステルがあるではないか!Ron氏に指差すと大喜びの破顔。 夜は田中氏とまた一緒になったので焼酎パーティとなった。 |
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第20日目 2006.3.30(木) はれ | ||||||||||||||||||||
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【打ち戻し】 今日は次の延光寺へ行くために国道321号線を海岸沿いに前へ進むか、下ノ加江まで戻り山道を歩くか二通りがあるが、顎鬚遍路田中氏と相談の結果、下ノ加江まで打ち戻ることにする。 窪津漁港でお弁当代わりにおもちを買う。ここの売店、昨日の水曜日は定休日で閉店だった。 空は晴れているが、強烈な向かい風で足が出ない。すごい風だ。 民宿安宿では夕食のときに大阪住吉の女遍路佐藤さんとお話が出来た。 彼女、「月に一度は宝山寺、高野山に参っている」と。 |
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第21日目 2006.3.31(金) はれ | ||||||||||||||||||||
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【基地遊び】 下ノ加江から三原村を通って宿毛市の延光寺を目指す。 途中で21歳の青年遍路とともに歩く。 彼は高松市の天野君といい、この2月まで自衛隊に勤務していた。鍼灸師になりたいため今その充電中だという。 二人で歩いているとその横を自転車に乗った女の子二人が追い越していく。 「こんにちわ〜、おっちゃんの荷物のせて〜」「いや〜」 「そんなこといわんと〜〜、このリュック重いねん」というと自転車を止めて後ろのカゴの中を空にして、ここへ乗せろという。 「ほんとに乗せてもいい?」「うん」 冗談で言ったつもりが本当になった。何年生かと聞くと今度3年生になるという。名前は実咲ちゃんと麻衣花ちゃん。 なんだかんだ話しながら歩いているうちにお互い打ち解けてしまって、彼女たちが家へ来いという。 家のそばへ行くと「基地を作って遊ぼう」という。 荷物を乗せてもらったことだし・・・、と思い基地を作って遊ぶ。こうなるともうなかなか開放してくれない。 「こんやは家に泊まって〜」と実咲ちゃんがいう。「そんなことしたらパパやママがおこるよ」 「いいの、お父さんは離婚して家にいないから」「お父さんと一緒に暮らせるといいのにね」 「イヤ!」「なんで?」 「だって、浮気はイヤ!」とんだことで内輪話まで聞くことになったが、土地の子供たちは本当に素朴だ。 延光寺では花粉症で眼が痒いので眼洗井戸で眼を洗う。 延光寺の前の宿はこのしまやとへんくつやがある。 どちらもいまいち・・・。 土佐の修行道場はここにて終了。
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続き「菩提の道場」 |
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