四国88ケ所 涅槃の道場
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第66番札所 巨鼇山 雲辺寺 きょごうざん うんぺんじ

H.15.11.26、撮影

H.15.11.26、集印
本尊 千手観世音菩薩 伝弘法大師作
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
徳島県池田町白地 0883-74-1707
ご詠歌 はるばると くものほとりの てらにきて つきひをいまは ふもとにぞみる
延暦8年(789年)弘法大師はこの山に登り、堂宇を建て、大同2年(807年)嵯峨天皇の勅願を奉じ再度入山し、本尊を刻んで納められた。天正年間、長宗我部の兵火に遭い堂塔が消失、久しく荒廃していたところ、阿波藩主の手で再興された。

第67番札所 小松尾山 大興寺 こまつおざん だいこうじ

H.15.11.26、撮影

H.15.11.26、集印
本尊 薬師如来 伝弘法大師作
開基 弘法大師
宗派 真言宗善通寺派
香川県山本町辻小松尾 0875-63-2341
ご詠歌 うへおきし こまつをでら ながむれば のりのおしへの かぜぞふきぬる
弘仁13年(822年)嵯峨天皇の勅願を奉じた弘法大師が開創し、本尊の薬師如来を刻んで安置されたのが始まりという。当寺は本堂の左右に真言・天台の大師堂があり、二派によって管理されていた名残り。天正の兵火に遭い堂塔消失、現在の本堂は慶長年間(1599〜1615年)に再建されたものである。石段下の大樟の木は弘法大師のお手植えと伝えられる。

第68番札所 琴弾山 神恵院 ことひきざん じんねいん

H.15.11.26、撮影  68番・69番共用門

H.15.11.26、集印
本尊 阿弥陀如来 伝弘法大師作
開基 日証上人
宗派 真言宗大覚寺派
香川県観音寺市八幡町 0875-25-3871
ご詠歌 ふゑのねも まつふくかぜも ことひくも うたぶもまふも のりのこえごえ
大宝3年(703年)日証上人が琴弾山山頂に社殿を造り琴弾八幡として祀ったのがはじまりである。大同2年、弘法大師が本地仏の阿弥陀如来を染筆し安置した。
明治初年の神仏分離令により、本地仏の阿弥陀如来が隣接の観音寺境内西金堂に遷座され、札所神恵院となった。四国唯一の一寺二札所。

第69番札所 七宝山 観音寺 しっぽうざん かんおんじ

H.15.11.26撮影 68番と共用の山門

H13.5.19 集印
本尊 観世音菩薩
開基 日証上人
宗派 真言宗大覚寺派
観音市八幡1-2-7 0875-25-3871
ご詠歌 かんのんの だいひのちから つよければ おもきつみおも ひきあげてたべ
大宝年間、日証上人によって開創された当時は神宮寺と称していた。
大同2年(807)、当寺の第七代住職となられた弘法大師は聖観世音像を刻み、安置する堂宇を琴弾山中腹に建立したほか堂塔を整備拡充され、寺号を観音寺と改められた。

第70番札所 七宝山 本山寺 しっぽうざん もとやまじ

H.15.11.26撮影

H13.5.19 集印
本尊 馬頭観世音菩薩 伝弘法大師作
開基 弘法大師
宗派 真言宗高野派
香川県三豊郡豊中町本山甲1445 0875-62-2007
ご詠歌 もとやまに だれがうえける はななれや はるこそたおれ たむけにぞなる
大同2年(807)平城天皇の勅願を奉じ、弘法大師が創建した。「一夜建立」の伝説がある。当寺の堂塔は兵火、出火の罹災もなく建立当寺の姿のままで、国宝、重文の多い寺として貴重な存在である。馬頭観音の本尊は88ヵ所中ここだけ。

第71番札所 剣五山 弥谷寺 けんござん いやだにじ

H.15.11.27撮影

H13.5.19 集印
本尊 千手観世音菩薩 伝弘法大師作
開基 行基菩薩
宗派 真言宗善光寺派
香川県三豊郡三野町大見乙70 0875-72-3446
ご詠歌 あくにんと ゆきつらなんも いやだにじ ただかりそめも よきともぞよき
天平年間聖武天皇の勅願を奉じ、行基菩薩が創建した。弘法大師「真魚」の幼少期にこの岩窟で学問をしたと伝えられる。
唐から帰国した後、大同2年(807)入山、本尊を刻んで安置、寺名を剣五山弥谷寺と改号された。その後連山の天霧城主香川家没落の際全山焼失したが、慶長年間、生駒讃岐守により再興された。当寺は、弘法大師足跡の多い寺である。

第72番札所 我排師山 曼荼羅寺 がはいしざん まんだらじ

H.15.11.27撮影

H13.5.19 集印
本尊 大日如来 伝弘法大師作
開基 行基菩薩
宗派 真言宗善通寺派
善通寺市吉原1380-1 0877-63-0072
ご詠歌 わずかにも まんだらおがむ ひとはただ ふたたびみたび かえらざらまし
弘法大師の御先祖佐伯家の氏寺として推古4年(596)に建立され世坂寺と号した。
大同2年(807)唐より帰国した弘法大師が3年の歳月をかけ堂塔を建立、両部曼荼羅を安置し奉り、本尊大日如来を勧請して寺号を「曼荼羅寺」と改称された。

第73番札所 我排師山 出釈迦寺 がはいしざん しゅっしゃかじ

H.15.11.27撮影

H13.5.19 集印
本尊 釈迦如来 伝弘法大師作
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
善通寺市吉原町1091 0877-63-0073
ご詠歌 まよいぬる ろくどうしゅじょう すくわんと とうときやまに いづるしゃかでら
遍路順打ちの中で、この73番だけは、72番より先に打った方が便利である。

第74番札所 医王山 甲山寺 いおうざん こうやまじ

H.15.11.27撮影

H13.5.19 集印
本尊 薬師如来 伝弘法大師作
開基 弘法大師
宗派 真言宗善通寺派
善通寺市弘田町1765-1 0877-63-0074
ご詠歌 じゅうにしん みかたにもてる いくさには おのれとこころ かぶとやまかな 
弘仁12年(821)嵯峨天皇より満濃池の修築の勅命を受けた弘法大師は、5月に下向し当寺で完成祈願の秘法を修し薬師如来を安置奉った。難工事は弘法大師の指揮監督下に3ヶ月で完成させた。
弘法大師は、朝廷の勅賜金の一部で堂塔を建立、先の薬師如来を本尊として祀り、医王山と命名した。

第75番札所 五岳山 善通寺 ごがくざん ぜんつうじ

H.15.11.27撮影

H13.5.19 集印
本尊 薬師如来
開基 弘法大師
宗派 真言宗善通寺派総本山
善通寺市善通寺町3-3-1 0877-62-0111
ご詠歌 われすまば よもきえはてじ ぜんつうじ ふかきちかいの のりのともしび
屏風浦五岳山誕生院総本山善通寺と称し真言宗善通寺派の総本山であり、大師自ら建立された真言宗発祥の根本道場である。紀州高野山、京都東寺とともに弘法大師の三大霊跡のひとつである。大師御誕生の地については、海岸寺と善通寺の二説あり。文化13年(1815)8月14日嵯峨御所から御理解書を下されたところによると、「善通寺を誕生所」、「海岸寺を出化初因縁之霊蹟」と命名している。大師御誕生の所は、今の御影堂の地点に当たるといわれている。御影堂の地下に、暗黒の中、89mを壁伝いに歩く「戒壇めぐり」がある。

第76番札所 鶏足山 金倉寺 けいそくざん こんぞうじ

H.15.11.27撮影

H13.5.19 集印
本尊 薬師如来 伝智証大師(大師の姪の子)作
開基 和平道善
宗派 天台宗寺門派
善通寺市金蔵寺町1160 0877-62-0845
ご詠歌 まことにも しんぶつそうを ひらくれば しんごんかじの ふしぎなりけり
宝亀元年(774)長者和気道善の開基で、当時は道善寺と号した。
唐から帰国した弘法大師が堂塔を建立した。延長6年(928)醍醐天皇の勅命により現在の号称に変更された。
建武の争乱、永正、天文と続いた兵火に遭いことごとく焼失永らく荒廃。寛永の末期頃になって、讃岐の太守松平頼重公の手によりようやく再興された。

第77番札所 桑多山 道隆寺 くわたざん どうりゅうじ

H.15.11.27撮影

H13.5.19 集印
本尊 薬師如来
開基 和気道隆
宗派 真言宗醍醐派
香川県仲多度郡多度津町北鴨1-5-42 0877-32-3577
ご詠歌 ねがいをば ぶつどうりゅうに いりはてて ぼだいのつきを みまくほしさに
12百有余年前に、当地の領主和気道隆によって創建され、その名が寺名となった。後年に弘法大師が本尊を刻んで安置された。

第78番札所 仏光山 郷照寺 ぶっこうざん ごうしょうじ

H.15.11.28撮影

H13.5.19 集印
本尊 阿弥陀如来
開基 行基菩薩
宗派 時宗
香川県綾歌郡宇多津町1435 0877-49-0710
ご詠歌 おどりはね ねんぶつとなう どうじょうじ ひょうしをそろえ かねをうつなり
神亀2年(725)行基菩薩が開創、仏光山道場寺と命名した。その後、大同2年(807)弘法大師が堂舎を修復されている。正応元年(1288)一遍上人が逗留して布教活動をすすめ、大衆の支持を得る念仏道場として栄え、時宗に改宗、寺名も郷照寺と改号された。天正の兵火に遭い堂塔は焼失したが、文禄2年(1593)に再興した。

第79番札所 金華山 高照院 きんかざん こうしょういん

H.15.11.28撮影

H13.5.19 集印
本尊 十一面観世音菩薩
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
坂出市西庄町天皇1713 0877-46-3508
ご詠歌 じゅうらくの うきよのなかを たずぬべし てんのうさえも さすらいぞある
寂本「霊場記」には「金花山妙成就寺魔尼珠院」の名で記されている。俗称「崇徳天皇」と呼ばれた。崇徳天皇が崩御され、訃報を京へ奉聞する間、上皇の柩を当寺へ安置したことから「天皇寺」と改号された。真念著「道指南」では札所を「崇徳天皇」と称し、白峰神社が元札所であった。
天正(1573~92)の長曽我部の兵火に罹り全山焼失したが、天和2年(1682)2月に再興している。
明治初年、神仏分離令により、本尊を末寺であった高照院に遷座、札所高照院となった。遍路道としては、順打ちで第80番国分寺に向かう他、従来から一般に、松浦寺を経て、第81番根香寺と打ち国分寺へ降りる道をとる例が多かった。

第80番札所 白牛山 國分寺 はくぎゅうざん こくぶんじ

H.15.11.28撮影

H13.5.20 集印
本尊 千手観世音菩薩 行基菩薩作
開基 行基菩薩
宗派 古義真言宗御室派別格本山
香川県綾歌郡国分寺町国分2065 087-874-003
ご詠歌 くにをわけ のやまをしのぎ てらでらに まいれるひとを たすけましませ
平13年(741)聖武天皇の勅命により、行基菩薩が開創した讃岐の国分寺。
弘仁年間(810~824)には弘法大師が逗留し、本尊を補修されたとなっているが、「霊場記」には大師の作と記している。天正年間、長曽我部の兵火に遭い、本堂と鐘楼を残し焼失した。

第81番札所 綾松山 白峯寺 りょうしょうざん しろみねじ

H.15.11.28撮影

H13.5.20 集印
本尊 千手観世音菩薩 伝智証大師作
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
坂出市青海町2635 0877-47-0305
ご詠歌 しもさむく つゆしろたえの てらのうち みなをとなうる のりのこえごえ
弘仁6年(815)弘法大師は白峰山頂に如意宝珠を埋め、閼伽井を掘って衆生済度を祈願された。後貞観2年(860)智証大師の手にかかる千手観世音菩薩が本尊として安置された。
中世、保元の乱に因り讃岐に配流された崇徳上皇の御陵がある。

第82番札所 青峰山 根香寺 あおみねざん ねごろじ

H.15.11.28撮影

H13.5.20 集印
本尊 千手観世音菩薩 伝智証大師作
開基 弘法大師
宗派 天台宗(単立)
高松市中山町1506 087-881-3329
ご詠歌 よいのまの たえふるしもの きえぬれば あとこそかねの ごんぎょうのこえ 
弘仁年間に、弘法大師が華蔵院を創建、天長9年(832)智証大師が千手院を創建、この2院を総称して根香寺と号した。この寺も度々の兵火で荒廃久しかったが、高松藩主松平頼重によって今日の姿に復興されている。

第83番札所 神豪山 一宮寺 しんごうざん いちのみやじ

H.15.11.29撮影

H13.5.20 集印
本尊 聖観世音菩薩 伝弘法大師作
開基 義渕僧正
宗派 真言宗御室派
高松市一宮町607 087-885-2301
ご詠歌 さぬきいちのみやの みまえにあおぎきて かみのこころを たれかしらゆう
大宝年間(701~4)に、義渕僧正によって創建、一国一社の勅命を奉じた行基菩薩が讃岐一の宮の田村神社を建立、寺はその別当となって神豪山一宮寺と称した。
大同年間(806~10)弘法大師が聖観世音菩薩を刻んで本尊として安置、朽廃の堂塔を補修整備して再興させた。
天正年間、長曽我部の兵火に遭い焼失したが、宥勢大徳によって復興現在に至る。
延宝7年(1679)高松初代藩主松平頼重により別当職を解かれ、独立寺となった。

第84番札所 南面山 屋島寺 なんめんざん やしまじ

H.15.11.29雨の中で撮影

H13.5.20 集印
本尊 十一面千手観世音菩薩 伝弘法大師作
開基 鑑真和上
宗派 真言宗御室派
高松市屋島東町1808 087-841-9418
ご詠歌 あずさゆみ やしまのみやに もうでつつ いのりをかけて いさむもののふ
天平勝宝6年(754)朝廷に招かれた鑑真和上が唐を発ち来日、奈良に向かう途中この地を訪れ、山頂北嶺に霊場を開創せられ、その後和上の弟子恵雲師が堂宇を建立した。
弘仁6年(815)には、弘法大師が伽藍を現在の位置に移し、本尊を安置された。

第85番札所 五剣山 八栗寺 ごけんざん やくりじ

H.15.11.29撮影

H13.5.20 集印
本尊 聖観世音菩薩
開基 弘法大師
宗派 真言宗大覚寺派
香川県木田郡牟礼町牟礼3416 087-845-9603
ご詠歌 ぼんのうを むねのちかにて やくりをば しゅぎょうしゃならで たれかしるべき
天長6年(827)の創建である。
天正年間に長曽我部の兵火に遭い堂塔が全焼、荒廃久しきところ、寛永19年(1642)高松藩主)松平頼重公により本堂が再建された。

第86番札所 補陀落山 志度寺 ふだらくざん しどじ

H.15.11.30撮影

H13.5.20 集印
本尊 十一面観世音菩薩
開基 藤原不比等
宗派 真言宗善通寺派
香川県大川郡志度町志度1102 087-894-0028
ご詠歌 いざさらば こよいはここに しどのてら いのりのこえを みみにふれつつ
伝説豊かな古刹である。天武天皇の御代に大臣藤原不比等が建立したと伝えられる。
現在の堂宇は寛永7年(1667)松平頼重公の改築したもの。

第87番札所 補陀落山 長尾寺 ふだらくざん ながおじ

H.15.11.30撮影

H13.5.20 集印
本尊 聖観世音菩薩
開基 行基菩薩
宗派 天台宗
香川県大川郡長尾西653 0879-52-2041
ご詠歌 あしびきの やまどりのおの ながおでら あきのよすがら みなをとなえよ 
天平11年(739)行基菩薩一宇を建て本尊を奉安。その後、弘法大師が、一字一石の供養塔を建立し護摩秘法を修した。天和元年(1681)藩主松平頼重公は堂塔田畑を寄進、天台宗に改宗した。

第88番札所 医王山 大窪寺 いおうざん おおくぼじ

H.15.11.30撮影

H13.5.20 集印
本尊 薬師如来 伝弘法大師作
開基 行基菩薩
宗派 真言宗大覚寺派
香川県大川郡長尾町多和兼割96 0879-56-2278
ご詠歌 なむやくし しょびょうなかれと ねがいつつ まいれるひとは おおくぼのてら
元正天皇勅願寺である。弘法大師は唐より帰朝後、この智に堂宇を建て、本尊を刻んで安置された。本堂前石の宝杖堂は、大師が錫杖を納められたところと伝えられる。第1番より打ち始めて第88番札所、宿願成り「結願寺」という。


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